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ろくでなし子・森下泰輔 まんこラボ展 仮象としての現実に関する考察 It’s not here 2023/6/13~25

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森下泰輔《QRコード・ペインティング》2023 キャンバスにアクリル、顔料インク。ろくでなし子「ヴァーチャルまんこミュージアム」にlink

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ろくでなし子《マンボート》2013 ミクストメディア

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ろくでなし子《ヴァーチャル・まんこミュージアム》2023 メタバース 

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森下泰輔《JAN 24, 2015》 2023 キャンバスにアクリル 727×910mm

ろくでなし子・森下泰輔 まんこラボ展 仮象としての現実に関する考察
It’s not here - Considerations on Reality as Virtual Universe
2023年6月13 日(火)~25日(日) 19日(月)休廊
15:00~20:00 最終日18:00まで
会場 Art Lab Tokyo
〒107-0061 東京都港区北青山2-7-26 メゾン青山202
03-6231-6768
展示作品販売サイト 

秋葉原から北青山に移転したアートラボ・トーキョーで森下泰輔とろくでなし子のコラボレーション展示を行います。森下キャンバス作品のいくつかはろくでなし子との共作となるほか、ろくでなし子がネット上に構築しているメタバース「ヴァーチャルまんこミュージアム」内でも森下とのコラボが行われます。森下はろくでなし子事件の6年間を考察するキャンバス作を15点制作しますが、会場には同作品は大部分展示せず、バーコード絵画の延長線上にある「QRコード絵画」を展示、ろくでなし子の作品を収蔵したネット上のヴァーチャルミュージアムと相まって「ギャラリーにはなくネット上にある」というコンセプトを展開します。加えてモニュメンタルともいえる《マンボート》や一時的に警察に押収された《デコまん》シリーズ作品も展示いたします。
 
森下泰輔作品
ろくでなし子をめぐる賛否は主にSNS上で頻発した。よって森下は、本「まんこラボ展」に際し、可能な限りSNS上での情報に特化しながら「大文字の美術史」として個別作品化していった。時系列概念は河原温デイトペインティング概念を援用している。かつてモダンの尻尾に位置するグリーンバーグ一派が「劇場的」と切って捨てたが、それはもはや動かしようのない後続美術史として確固たる位相を築いたといえる。SNSをめぐる劇場性を2D絵画にして問う。個々の作品解説は読んで いただくとして、その作品はネット上に吊るし、展覧会場にはQRコード絵画を展示する。そのコードはITにリンクされたものだ。「ここにはなくネット上にある」といったコンセプチュアルアートである(森下は90年代はじめよりバーコード絵画を制作してきたがQRコード絵画はその継続性のなかにある)。
 
ろくでなし子作品
ろくでなし子新作もまたネット上に構築されたメタバース、ろくでなし子ヴァーチャル美術館ともいうべき「まんこミュージアム」なのだ。この異次元で、なし子は過去のまんアート否定派について批判的な態度を表明するとともに、さらに「もりしたくん」なるアバターも作って既成日本現代美術の姿勢に対しあれこれいう存在としての漫画的展開を示唆している。ろくでなし子、恐るべし。
 
また、本展では原点でもある《マンボート》やデコまんシリーズも並列する予定である。
 
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ろくでなし子+森下泰輔の「まんこラボ展」に関して書く。
天乃英彦(美術評論家)
 
もともとアートラボ秋葉原時代に「nuranura」展というものがあって、ネオ春画的な性にまつわるアート作品に特化して展示していた。2020年にアートラボが新宿眼科画廊からろくでなし子作品を購入したきっかけで、作家とつながったものである。なし子は2021、2022と同展に出品した。

ろくでなし子と森下泰輔との最初の出会いは2015年1月24日ギャラリー古藤で開催されていた「表現の不自由展」で、大浦信行とホン・ソンダムのトークが開催されていた。そのとき、なし子は2度目の逮捕での留置を終え、出所してまもなくだった。

森下は同年、戦後現代美術事件簿「性におおらかだったはずの国のろくでなし子」をギャラリーときの忘れもののブログで執筆しており、2014年に起こった見せしめともいうべき逮捕からその経緯に注目してきた。

2019年に全国を揺らした例のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展事件」(森下は2021~2022にかけ東京で開催された表現の不自由展・東京実行委員でもある)に関し、「表現の不自由というけど、美術館から撤去なんて生ぬるい。私は逮捕・拘留されたんだよ。本当の表現の不自由です」(ろくでなし子)というのも無理もなかった。

2015年~2020年まで足かけ6年にもわたった東京地裁から最高裁までの裁判では主に2つのことが争われた。なし子が《マンボート》制作のためのクラウドファンディングにて、寄付金のお礼として自らの「まんこ」の電磁記録データを配布、個展で同データを頒布した件と、その数年まえより始めていた《デコまん》シリーズのオブジェの各所での展示に関してだった。

同作はまんこをかたどりしたものに、様々な素材(プラスティック製の樹木やミクストメディア)でまんこのパノラマを制作した小品のオブジェだ。地裁の一部無罪という判決結果は、この《デコまん》が性器の形が見えないほどに装飾が付加されているためアートである、という判事の見解による。美術評論家・林道郎は、非装飾的なじかな提出であっても、その提出自体に意味があればアートであると、弁護もしたにもかかわらずアート動向に無知な司法にはちんぷんかんぷんだったのだろう。

この《デコまん》制作に至った経緯は、もともと漫画家であったなし子が、97年に講談社漫画賞佳作賞を受賞し、プロとしてデビューしてから当時の「私生活体験漫画」ブームの一環として、自らのまん型を取るという「おバカ」な発想が原点にある。本名では描ききれないので、ろくでなし子というペンネームを使った。その体験漫画では、面白おかしく「性器整形」「デコまん制作実践ワークショップ」など実際に起こった事実を漫画にしているものの、実態は漫画家としてサバイバルするための術(いわばいわゆる業界ネタ)であった。この漫画は「おバカなおんながおバカなことをする」(ろくでなし子)と述べる通り、そこそこ評判をとり漫画雑誌編集者やスポーツ誌記者などを巻き込みながら社会現象化していった。

この段階までは受け狙いのネタであって、政治的なものではなかったのである。ある意味お笑いネタであったのかもしれない。《デコまん》は面白がったフェミニズム活動家・北原みのりも自らのイデオローグから始めた「女性による女性のためのアダルトショップ」で展示したのだが、これが「わいせつ物陳列罪」嫌疑に引っ掛かり2014年12月、なし子と北原みのりが同時逮捕される(なし子は2度目の逮捕)。

これによって問題はただの「ネタ」から社会問題、政治問題、フェミニズムやミソジニーの問題にいっきに発展した。さらにシュルレアリスムの手法を用いた《デコまん》およびフェミニズムアートの文脈に乗り入れている《マンボート》およびそのための電磁データ配布は芸術作品の起訴という点において1960年代「赤瀬川原平模型千円札事件」以来の現代美術事件簿が追加されたかっこうとなった。加えてフェミニズムをめぐる現在のポリティカル・コレクトネスやソーシャリー・エンゲイジドアートとみごとにシンクロしてしまい、国際アート舞台の先頭集団に躍り出てしまったのだ。

とはいえ、ろくでなし子が2013年にマンボート制作のためのクラウドファンディングを始め3Dスキャナーで自身の局部を撮影した時点から作品や概念は極めて現代美術的に変化し、ジャフ・クーンズに連なる「劇場型」アートを濃密に内包し始めたのには基本それそうおうの現代美術の知識がなし子のなかに最初からあったとしか思えない。

だが、このろくでなし子事件というのは、60年安保闘争に連座し読売アンデパンダン展を経由した表現による抵抗ともいうべき、60’s前衛の確信犯的「わいせつ物」の芸術への挿入とは本質的に異なっており、原点においては、いわば漫画界を取り巻く読者・大衆を含めた資本主義的ニーズ(需要)から派生したものだということだ。明治に成立した「公然わいせつ罪」なるものが、現在の大衆のニーズとはかけ離れたものになっているという査証でもあろう。これはまた美術公論的には漫画以降、おたく以降のコンテクスト上にある。また、かつての前衛過激派が男女性器や公共空間での全裸行動を標榜したのには、男性目線からの表現動機があった。むしろ、女性の性を商業主義ジャーナリズムと同じ地平から利用していたのでは、といった可能性すら感じられた。ろくでなし子のケースでは純粋に女性側からの視線が起点にあり、「わたしたちの大事なまんこを表象するのがなぜ犯罪なのか?」と真逆である。実際60年代前衛は男性中心で女性作家の参加はほとんどなかった。つまりなし子の作は、完全にフェミニズムアート台頭上にあるのだ。
 
ここしばらくメジャー美術界を席巻しているのはフェミニズムアートで、さすがにアートは#me too運動よりもよほど早かった(フェミニズムアートの源流は60年代にさかのぼる)。ろくでなし子裁判で証言した前出の元美術評論家連盟会長・林道郎が法廷で弁護した通り、欧米では「まんこアート」は珍しいものではなく、ジュディ・シカゴのように男権的文化体制批判作品では頻繁に用いられる。林氏が女性問題でああいうことになったのは何とも皮肉だが、ろくでなし子作品はこうした海外の動向を受け、美術史のど真ん中で、欧州で評価されている。ところで、ろくでなし子は、本邦フェミニズムの重鎮・上野千鶴子が、まんこアートに否定的だった経緯を経、自らを「屁ミニスト」と称する。なし子は天然ラディカル星人なのかもしれない。